セカンドオピニオンという言葉をご存知の方は少なくないと思います。こうしてカタカナで表記されていると、特別な専門用語のように見えますが、英語では second opinion、直訳すると2番目の意見、別の人の意見、という意味で、医療分野に限らず使われる言葉です。
日本では、一般的には、医師から診断名を告げられたり、治療を勧められたりした時に、他の医師の意見を求めるときに「セカンドオピニオンを求める」と言うように使われる言葉です。
主治医に手術を勧められたけれども、本当に手術しなければならないほど深刻な状態なのだろうか?手術以外の治療法はないのだろうか?そもそも、診断された病名は本当に正しいのだろうか?など、患者はわからなくて判断に迷うことがたくさんあります。
ありふれた病気で医師も治療経験が豊富であれば、それほど迷うことなく信頼してお願いできることが多いのですが、診断の難しい病気、非常に稀な病気の場合には、慎重にならざるを得ません。
けれども、患者が抱く疑問や不安を直接主治医に投げかけるのは、信頼していないように思われてしまうのではないか、失礼に当たるのではないかなど、日本人的な気遣いや遠慮が働いてなかなか必要な質問すらできません。また、中にはそれで実際に機嫌を損ねてしまうような権威主義的な医師も存在します。
今日ほとんどの病院では「セカンドオピニオン制度」というものが設けられて、現在かかっている病院で手続きをして、それまでの検査結果などの医療情報を別の病院の医師に送ってもらって、そこで診察を受けて主治医とは別の医師の診断や治療方針についての意見を仰ぐことができます。この制度が普及したことにより、患者の側も、以前ほど後ろめたい思いを抱かずに、他の医師の見解も知ることができるようになりました。
けれども、海外で生活してきた私にとって、日本のこの制度は非常に拘束が多く、不自由な制度だと感じられます。私も日本国内で、この制度を利用して、A大学病院からB大学病院に行って診察を受けた経験があります。まずA病院でセカンドオピニオンの申請の手続きをして、主治医に医療情報や紹介状をB病院に送ってもらい、それらが届いてからB病院で診察を受けたのですが、その診察料が3万円と、普通の診察の何倍もかかりました。そして、診察の結果は、診察を受けた患者である私にも口頭で簡単に説明はされましたが、正式な返事はB病院の医師からA病院の医師に手紙で伝えられる、ということになっていました。
この方法では、主治医に知られずに別の医師の意見を仰ぐ、というわけにはいきません。また、患者には知らされない情報や意見が、医師同士の間で交わされているかもしれない、といったような疑念も生じる可能性があります。
B病院の医師は、A病院の医師に返事を書くことが面倒そうでした。「セカンドオピニオン制度って、お金も手間もかかって大変ですね」とB病院の医師に話すと、「そんな制度を利用しなくても、そのまま診察に来てくれれば診ますよ」と言ってくださり、「このデータ、全部あなたにあげるから、このままC大学病院に持っていって診察を受けたらいい」と画像や検査データ一式くださいました。それで初診料だけでC大学病院の診察を受け、最終的にはC病院で手術を受けることになりました。
「自分の医療データを自分で持つこと」でもご紹介しましたが、海外では、患者自身が検査結果や画像などの医療情報を自分で持っていることが一般的です。私の病気は稀な難病であることもあって、世界中の患者同士が情報を交換し合っています。論文などでこの領域の専門医を調べ、「私の画像を見ていただけないでしょうか?」と手紙を出すと、ほとんど断られることもなく、画像について丁寧なコメントやアドバイスを返信していただけます。
私とニューヨーク在住の主治医との関係も、患者を通して私のことを耳にした医師が、「よかったら画像を送ってくれないか」と連絡してきて、画像をお送りすると、「よかったら私の診察を受けに来ないか?」と言われてニューヨークまで飛んで行ったことが始まりでした。
自分でデータを持っていることによって、世界中の専門家に相談することが可能となります。そうしたことによって、同じ画像でも、実に様々な見解がある、ということを、医師も、患者も認識するようになります。
海外での経験から、思い切って日本の専門医にもメールで画像を見ていただけないかと尋ね、快く応じていただいた経験があります。
患者がデータを持たないことによって、日本の医師は、自分の診断が批判に晒される機会が極端に少なく、良くも悪くも守られていると思います。