臓器移植とは、重い病気や事故などによって臓器の機能が低下して、移植でしか治療できない場合に生きている方や亡くなられた方によって提供された臓器を移植する治療です。臓器を提供する人をドナー(Donor)、臓器の移植を受ける人をレシピエント(Recipient)と言います。
臓器移植は善意による臓器の提供がなければ成り立ちません。
写真のような臓器提供意思表示カードをご覧になったことがある方もいらっしゃると思います。日本では、臓器提供の意思を記入してこのカードを持ち歩くことによって、万一病気や事故によって急に死亡するようなことがあったときにドナーとなることができますし、運転免許証の裏面でも同様に臓器提供の意思を表示できる記入欄が設けられています。
けれども、実際に突然死亡するような事態になったとき、残された家族が臓器を提供することに反対することなどもあり、日本では必要な患者さんに対して臓器の提供が圧倒的に少なく、海外に移植を受けに行く人もいます。
心臓移植が必要な子どもに米国で移植手術を受けさせるためには何億円もの費用が必要で、そのための募金活動が行われている様子がテレビで放映されることも少なくありません。
臓器移植の制度や医療制度が整っていない国々では、臓器の売買なども行われていて、借金の返済や、家族を養うために貧しい人々が腎臓を売り、日本を含めて自国ではなかなか移植を受けることができない人々がそうした国に移植手術を受け行くことが社会問題ともなっています。
日本では移植できる臓器が、心臓、肺、肝臓、膵臓、腎臓、小腸と眼球(角膜)と法令で定められています。それで、臓器提供意思表示カードにも、これらの臓器名が記された後に、「提供したくない臓器があれば✖をつけてください」などと書かれています。
このカードに臓器提供の意思を記入して署名するとき、日本の臓器移植に関する法令を知らなかったので「あれっ、身体の他の組織の提供については何も質問しないの?」と不思議に思いました。
長女は米国で交通事故に遭い、膝の靭帯が3本も断裂するという大怪我を負いましたが、その修復手術には、死体から組織提供された靭帯2本が移植されました。また、私は米国で頭蓋骨と頸椎を固定する手術を受けましたが、その時には固定した骨を補強するために死体の骨を原料とするボーン・グラフトを使用することによって、自分の身体の骨を削り取らずにすみました。
病気や事故によって、心臓や腎臓などの臓器以外の身体の組織を必要とする患者は大勢おり、死体には骨や靭帯や筋膜など、そうした人びとに役立つ組織がたくさんあります。
心臓や肝臓などの臓器提供の場合、鮮度が重要で、家族は心の準備もできないうちに判断を迫られますが、骨などの組織の提供についてはせかされる必要がありません。また、臓器提供では、脳死の段階で「死」と認識できるか否かなど、医学的な判断以外に、倫理的、宗教的、文化的な死生観なども関係してきます。
大勢の人々に役立てることができる身体の組織、焼いてしまったら灰になってしまう身体、日本でなぜ組織提供が全く行われないのか(角膜は例外)、とてももったいないことだと思いますし、不思議なことだと感じます。